大船渡からサンマが届いた。
3.11の東日本大震災の際、
高速道路が通行可能になった4月に、豚汁と焼きそばの材料と水を積んで炊き出しをしに行った。
(山上輪業ツーリングチームメンバー、守屋さん・荒井さん・望月さん・社長・寿美)
その時、陸前高田の現地でただ一人、手伝ってくれた人の母親から送られたサンマだ。
縁があって、なんとお付き合いが続いている。
嬉しい思いに、思い出したことを紹介。
震災後すぐに、自転車組合からの声掛けで自転車をかき集め、社長が三崎港に届けた。
『三崎港から船で〜』と新聞にも掲載されたような記憶がある。
しかし、のちに船が港に着けなかった。着く港がない。とも聞いた。
「車も流され、道路も信号もなくなり、車があってもガソリンスタンドは長蛇の列。
給油制限もあって、斎場に行くにも一度では足りなく、もう一度並んだとのこと。
近所の斎場はなくなってしまい、遠くの斎場まで行くにはそうするしかない。」とのことだった。
そんなことを現地で生の声を聴いて、足になるバイクを届けよう!!と思った。
バイクを集め、整備し、山上輪業名義でナンバープレートを取り、自賠責保険を入れ、
ヘルメットをつけてすぐに乗れるようにした。
10台位を山上輪業スタッフ4人(社長・寿美・陣・群)で陸前高田に
山上輪業の大きいトラックと軽トラックで届けた。
「逗子ナンバーのバイクが陸前高田の街中を走って役に立っているかなー!?」「ガンバッテ〜」と、
震災後の被災地に思いを馳せた当時ことを振り返り、思い出した。
そして、現在も前を向いて頑張っているのを、心から応援している。
私たちも逗子で頑張らねば・・・と、美味しいサンマをいただきながら思った。ーSー